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みずのタイムトラベル城西編 紀行 12

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「アルモニービアン」について話しました。今回はそこからゴールの松本城公園へ向かい「松本城と北アルプスの眺望」を眺めましょう。

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 松本市立博物館の入口付近から視ることのできるこの風景。2000年には「都市景観100選」を受賞し、水準の高い都市空間として国土交通省から表彰されました。今では当たり前のこの風景も、多くの人の努力によって守られている風景であることをみなさんご存知でしょうか。
 松本城は永正元年(1504年)に築城されました。16世紀以降に石川氏によって整理された城下町計画は現在でも松本の都市形成に大きな影響を与えています。天守は現存する数少ない近世城郭として国宝にも指定され、明治維新後、松本駅が出来ると、市街地は次第にその方向へと拡大して行きます。1872年には天守が競売にかけられ解体の危機もありましたが、市川量造らの尽力によってその危機を逃れ、修復を繰り返しながら現在の姿に至ります。1980年代後半以降は、駅前地区開発によってかつての商業の中心であった城郭周辺は衰退し、それと同時に居住地域、商業地域も徐々に変化して行きました。
 市内からの山岳眺望を守ろうと、1940年には長野県が風致地区に指定しています(建物の高さは第1種地区8m、第2種地区15mに制限)。1950年代以降は住居形態の変化と共に松本城周辺にもマンションが建設されるようになりました。1972年、松本城西側に7階建てのマンションが建設され、市民の間で景観保護の重要性が認識されるようになります。松本市では同年「松本城景観保護審議会」を設置。翌年には、当時の東京大学都市工学部大谷研究室に専門的な調査を依頼し、いわゆる「大谷レポート」が作成されます。このレポートでは松本城内からの山岳眺望を重視し、北アルプスへは仰角2度以上、美ヶ原へは仰角3度以上の建築物は眺望を阻害するとされました。

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「松本城周辺整備調査報告書,S48年 東京大学工学部都市工学科大谷研究室」

それを踏まえて審議会は「松本城とその周辺の景観保護対策(建築物の高度規制を中心にして)」を審議して、1973年に松本市に答申しました。1974年、松本市が「松本城景観保護高さ規制」松本城周辺を地区分け、それぞれ高さの上限を設ける行政指導を導入しました。一方で、一部市民からは土地利用規制の緩和を求める声でも出始めます。

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「松本都市計画区域高度地区」

1986年、規制の内容を見直し、仰角による高さ制限に変更。3つの視点から仰角2.3度と15mの高さ制限とします。1988年には「都市景観形成モデル都市」に指定(建設省)。1992年には松本市都市景観条例の施行と都市景観審議会が設置されます。
 1999年11月、再び9階建てのマンション建設計画が持ち上がります。最高高さ15mの商業地区に31.5mのマンションを建てる計画でした。これは松本城天守(29.4m)を越えるもので、再び市民の間で反対運動が展開され、市が土地を購入しマンション建設を回避しました。今後同様の計画がでても山岳眺望を守れるようにと、市と住民で勉強会を開始。2001年3月、松本城周辺地区32.6haに高度地区を指定(建築物の絶対高さ制限を導入)の高さ制限を導入しました。

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「松本城周辺高度地区エリア図」

 その後、景観法の制定があり、市ではさらに様々な規制誘導を検討して松本城の山岳眺望を守っています。こうして北アルプスと松本城の景観は守られ、500年以上、周辺環境の変化はあれ、城西の美しい山岳眺望を眺めることが出来るのです。山の地下を浸透した水は、湧水となり私たちの生活を潤し、山に雪がふれば厳しい冬が近いことを、雪が溶ければ春が近いことを。山は私たちに季節の気配を感じさせてくれます。「大谷レポート」からちょうど40年。今年も、みずをテーマに「建築家と巡る城下町 みずのタイムトラベル城南編」を行います。さんぽをつうじて普段何気なく通り過ぎている風景に、ふとした発見や驚きをみつけ、日常がより彩り豊かになるきっかけになればと思います。是非、みなさんの参加を心よりお待ちしております。

[年表]
1972年 「松本城景観保護審議会」設置
1973年 「大谷レポート」が作成される。審議会は「松本城とその周辺の景観保護対策(建築物の高度規制 を中心にして)」を審議、松本市に答申
1974年 「松本城景観保護高さ規制」を導入
1986年 規制内容を仰角による高さ制限に変更
1988年 「都市景観形成モデル都市」に指定
1999年 11月マンション建設計画が持ち上がる
2001年 松本城周辺高度地区を指定


[参考文献]
松本市ホームページ
事例番号073 自然の躍動 文化の鼓動 人の輝き(長野県松本市),国土交通省 都市・地域整備局
松本城周辺整備調査報告書,東京大学工学部都市工学科大谷研究室,1973年
by mizunosanpo | 2013-02-08 11:27 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 11

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「西総堀土塁公園」と「新井家の赤門・庭」について話しました。今回はそこから東へ、昭和に建てられ保存利用されている「アルモニービアン」へと向かいます。
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『アルモニービアン(旧日本勧業銀行松本支店)』

建築家
 「アルモニービアン」は1937年(昭和12年)に当時の日本勧業銀行松本支店(現・みずほ銀行)として建てられました。2003年(平成15年)に店舗統廃合に伴い売却方針が発表されます。松本市に対して保存要請があったものの財政難から市は購入を断念しました。しかしながら「旧勧銀ビルを守る市民の会」の保存運動によりレストラン・ブライダル施設に再生されました。
 建物全体を見渡すと、尖塔アーチ型の窓が7つ並ぶファサードが印象的です。キュビズム・バウハウスなどの着想源から1920年代パリで生まれ第二次大戦以前まで流行したアール・デコ様式の影響があります。アール・デコの代表的な建築としては東京都庭園美術館(旧・朝香宮邸/1933年)や伊勢丹新宿本店(1933年)があり、その幾何学モチーフや直線・流線形等の造形的な特徴があります。この建物は左右対称のファサードを持ち、直線と円弧の組み合わせからなる、極めて幾何学的な造形があります。建築家・藤森照信さん(茅野市出身)は、この開口部を著書『信州の西洋館』で、「松本城にいたる通りに生えた7本のつくし」と表現しています。尚、2007年には国の登録有形文化財に指定されています。


by mizunosanpo | 2013-02-03 19:10 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 10

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「夜行稲荷」と「レールのカベ井戸」について話しました。今回はそこから北へ「西総堀土塁公園」と「新井家の赤門・庭」へと向かいます。

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[写真1 西総堀土塁公園・土井尻土塁]

建築家
 これが「西総堀土塁公園」の土井尻土塁です。天正18年(1590年)頃に石川康長の手によって土塁が防塁として完成しました。約400年以上の時を経ているわけですね。土塁は城を守るために土をもってつくられた防衛施設のひとつ。松本市に残っているのは、北馬場の松本市役所職員駐車場の南にある「北総堀土塁」、市役所東庁舎南側の駐車場から東側をむくと見られる「東総堀土塁」、最後にこの「土井尻土塁」です。この砂礫層は女鳥羽川の堆積物で、総堀掘削によって発生した土を利用したものと考えられています。

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[写真2 土井尻土塁]

 現在この「土井尻土塁」は西側総堀で残る唯一の土塁となっています。所有者の方が中庭の築山として利用していいたために、運よく残っていたようです。この土井尻土塁は2008年7月7日から翌年3月19日までの期間で発掘調査が行われ、国史跡としてこのように保存されることになりました。発掘調査の際、武家屋敷の遺構も見つかり「木村武兵衛」屋敷と判断されています。この土塁の高さは推定3.64メートルでさらにその上に2.5~2.7メートルの土塀が建てられていたと考えられているので、外から城の様子はあまり見えなかったでしょう。続いて「新井家の赤門・庭」へと向かいます。

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[写真3 新井家へ]

建築家:続いてみえてきたのが「新井家の赤門・庭」です。三の丸周辺は上級武士や大名が住んでいたために当時は多くの庭と湧水の池があったでしょう。この新井家には湧水の池が残っており、当時の様子を感じることができます。この門は、屋根を腕木で支えることから腕木門と言われています。

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[写真4 新井家の庭]

*腕木=物の支えとして柱などに取り付ける横に渡した木の棒


by mizunosanpo | 2013-01-15 08:22 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 9

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は時代の移り変わりと共に姿を変えてきた「六九商店街」について話しました。今回はそこからわずかに北へ「夜光稲荷」と「レールのカベ井戸」へと向かいます。
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「写真1:夜光稲荷」

建築家:
 「見えてきました、『夜光稲荷』、です。この社は、戸田丹波守康長が大阪の陣、天王寺夜の戦いで敵と組合い溝に落ちた、これを見た板橋兵左衛門が暗い中、空中の火の玉の光を頼りに敵を打ち取り主人を救った逸話に由来します。社殿は板橋家が松本を離れる大正末年まで存在しましたが、離れる際に祭祀を百瀬家に託したために現在の場所に祀られています。
 ところで、鳥居はなぜ赤色なのでしょうか。これは中国の陰陽五行説が農業を「土」(土気)にあて、農業の神様の使いを色の似ている狐としていること。そして「火生土」の原則に基づき、「土」を生んだ「火」の色を狐の周りに置くことがいいという考えから来ています。しかしながら、この夜行稲荷は狐が光(火)となっていて「土生火」という逆転現象が起こってしまっている。これは、近世の人達が「狐生火」を信じていたことに基づいているそうです。さて、次のポイントへ移動しましょう」

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「写真2:レールのカベ井戸」

建築家:
 「さて、続いてみえてきたのが『レールのカベ井戸』です。このユニークな井戸は明治20年代に掘られました。壁の向こう側にタンクがあり、利用した余剰分を、地域にも利用してもらおうと工夫した結果このような形になったそうです。水をためる木枠や、壁から突き出るレールはご主人がつくったそうです。昔この界隈では、共同井戸が掘られてみんなで使っていたようです。」

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「写真3:レールのカベ井戸」


 「なお工芸の5月が開かれた際には陶芸作家「水垣千悦」さんのおちょこを置いて、みなさんにみずに親しんでいただきました。水垣さんの個展が東京千代田区トイギャラリーで2012/12/07~2012/12/13まで催されています。是非足を運ばれてみてはいかがでしょうか?」
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「写真4:レールのカベ井戸とおちょこ」



Reference: 「狐」法政大学出版局 吉野裕子著
by mizunosanpo | 2012-12-07 23:45 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 8

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は創業寛文12年(1672)『山屋御飴所』と、その向かいにある『10㎝』江戸後期から通船し、明治初期に最盛期を迎えた「犀川通船」について話しました。今回は、そこから西へ『六九商店街』へとむかいます。
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「写真1:六九町(2012)」

建築家:
「六九町はかつて女鳥羽川と総堀の間にあった武家地です(図.1)。寛永10年(1633)4代目松本城城主・松平直政が六九町の通り南側と女鳥羽川の道路側に面して東西88間半(約161m)のお馬54頭を収容できる厩(うまや)を造ったことから「6×9=54」とシャレで名付けられたと言われていますが、古く六九厩と明記された物も見つかっており、由来は諸説あるようです。この厩は安永5年(1776)12月17日「綿屋火事」によって焼失しました。この火災は非常に大規模なもので、川北西側は、六九厩、町役所、郡役所、御預役所と今町まで広がり、大手橋も焼失しました。その後、六九厩跡地と道の北側の武家屋敷を移動し、北側へ郡所・預所・町所を建て、道路南側の西方には穀蔵を建てました。町所と郡所は安永8年(1779)に合併し表勘定所を置きました。」
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図1.六九町地図 青線=糸魚川街道(塩の道) 赤線=町割り(江戸時代)

建築家:
「明治には、開産社の植物試験場、発明家臥雲辰致のガラ紡の織物工場。東の端には擬洋風の郵便局が出来たりと松本では先進産業に取り組む地域になっていきます。大正・昭和初期に、土蔵造りや建物のファサード(正面)を洋風にしつらえる看板建築やアーケードを取り入れるなどして、ハイカラな商店街として親しまれていました。」
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「写真2:六九町(大正・昭和初期)」
建築家:
「現在、南側は再開発事業で高層マンションとなり昔の面影はありませんが、北側地域には大正時代の擬洋風木造建築をリノベーションしたデザイン事務所『あをぐみ』や西側には、前回見た『10㎝』など古い建築をリノベーションして再利用する動きがあります。」

また、2012年12月1日(土)- 12月16日(日)には空きビルを会場として利用する美術展覧会「辰巳量平展:凡人でごめんなさい」が開かれます。場所は六九商店街から少し歩きますが、松本市ワールド不動産ビル。喫茶スペースもあるようなのでふらりと、足を運んでみてはいかがでしょうか?


by mizunosanpo | 2012-11-30 10:08 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 7

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は江戸後期から通船し、明治初期に最盛期を迎えた「犀川通船」について話しました。今回は、創業寛文12年(1672)『山屋御飴所』と、そのお隣にある『10㎝』を覗いてみましょう。
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[写真1:山屋御飴所]

建築家「こちらが『山屋御飴所』です。この建物は昭和8年(1933)3代目の時代に建て替えられました。レンガを積んだように張ったスクラッチタイル、漆喰と銅版葺きの3つの技法を使った外壁が特徴的です。屋根の東西に見られる阿吽のガマもあります。もともとは、肥料、セメントや陶器を扱う商店でした。飴は副業で仕入品の販売は昭和30年代後半まで続いていました。戦時中は山屋御飴所が中心となり、軍人の携行食としての飴を作り陸軍に納品していました。主材料は米飴で、「堂々行進」から「堂々飴」と名づけられた飴は現在もこちらで買うことが出来ます。工場は代々離れた所に設けられていましたが、最近は店の向かいに新工場を設け、飴作りを見学できるようになっています。」
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[写真2:10㎝]

建築家「山屋御飴所の向かいにある建物は『10㎝』です。アンティークショップで偶然みつけた10㎝と書かれた文字盤がこのお店の由来だそう。タバコ屋だった建物をクラフト作家のギャラリーとしてリノベーションして利用しています。様々な催しものをしているので、事前にHPから調べて行くとより楽しめるかもしれません。」

山屋御飴所
営業時間: 9:30~17:30(水曜定休)
HP: http://www.808on-amedokoro.com/

10㎝
営業日:金・土(常設の場合)
営業時間: 11:00~18:00
HP: http://10cm.biz/html/about.html


by mizunosanpo | 2012-10-21 20:53 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 6

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「今町」「旧宮坂薬局(現ラボラトリオ)」について話しました。今回は、そこから南へ向かい女鳥羽川へ。江戸後期にはじまり明治初期に最盛期を迎えた「犀川通船」を見に行きましょう。
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[写真1:女鳥羽川]
見えてきました、女鳥羽川です。
さて、建築家・山田さんの話が始まるようです…
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[写真2:建築家山田さん]
建築家山田さん「みなさんの目の前に見えているのが女鳥羽川です。かつてここは『犀川通船』の船着き場として栄えた場所でした。犀川下流の信州新町から女鳥羽川の千歳橋までの船運がありました。天保3年(1832)に通船願がでましたが、開通まで95年かかりました。当時、城の北西側に宿場町として馬を使った物流ルートが出来上がっていたために、交易の流れを大きく変える可能性のある通船には、街道筋の旅籠・運送業者たちが強く反対しました。それでは写真1中央奥に見えている鳥居のある神社へと向かいましょう。」
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[写真3:亘理神社]

建築家山田さん「こちらは、亘理(わたり)神社です。かつて、このような渡し船のあるところには神社が置かれていた所が数多くありました。この水運は明治35年(1902年)に篠ノ井線が開通したことで廃止され現在に至っています。」

かつて女鳥羽川には重要な交易拠点としての風景が広がっていました。しかし、時代の要請と共にその役割も変化していきます。みなさんの周りにある水場も過去の歴史を覗くと違う風景だったかもしれません。そして今、みなさんはどんな水場の風景を望みますか?

写真はほんの一例、福岡県柳川市。

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[写真4:福岡県柳川]出典:福岡県柳川市HP

by mizunosanpo | 2012-10-20 05:53 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 5

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「和洋折衷住宅」から「旧東宝セントラル」について話しました。今回は、「旧東宝セントラル」があった場所から「今町」「旧宮坂薬局(現ラボラトリオ)」へと向かいます。

細い路地を抜けて見えてきました。今町です。
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「写真1:今町の景観」

 町の成立は、享保13年(1728年)で、町名の由来は「今は町である」。明治維新以後-南北安曇野・河出方面との玄関口として物流が活発に行われ賑わいました。大正5年-信濃鉄道の終点「北松本駅」であったことから、更に繁栄し最盛期を迎えます。
 しかしながら、モータリゼーションにより狭い街路は一方通行を余儀なくされ商店街として衰退していきました。昭和39年に近代化を目指し「今町道路拡幅促進同盟」設立します。4期に分けて近代化事業を実施し昭和45年8月7日「大手完成祝賀会」を挙行し現在にいたります。その後、平成8年に商店街振興組合が8基の道祖神を建てました。商店がセットバックしているのは町の申し合わせによるものです。


今町を歩いていると見えてくるのが、「旧宮坂薬局(現 ラボラトリオ)」です。
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「写真2:旧宮坂薬局(現ラボラトリオ)」

 昭和8年築の鉄筋コンクリート造(壁の部分はブロック)の3階建て。1階が店舗、2階が調剤実験室(今の店舗の名前の由来となっている)、3階が大空間の会議室(天井中心飾り有り)かつてはバルコニーがあり、今町通りの近代化事業で道路拡幅のため切り取られてしまいましたが、側面の壁にはバルコニーに当時のレリーフの一部が残されておりアール・ヌーヴォーを垣間見ることも出来ます。グエル公園内にあるアントニ・ガウディ邸のバルコニーの角にも似たような丸く渦を巻いた装飾がみられます。
 大正時代に流行ったスクラッチタイルと石造りに見せる洗い出しの壁仕上げ、窓周りなどのレリーフの懲りようなど見ごたえがある建物。高橋寅次郎設計、筒井組工務店施工。市内では旧片倉製糸工場跡に建つカフラス(S4)、大名町のNTT本館(S5)に次ぎ3番目に古いコンクリート造の建物でしょう。大正中ごろに流行したスペイン風邪のおかげで商売繁盛となり、お金をかけた建物を造ることができたのだそう。
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「写真3:旧宮坂薬局(現ラボラトリオ)レリーフ」
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「写真4:ガウディ邸」


by mizunosanpo | 2012-09-09 03:29 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 4

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「西不明門」について話しました。今回は、松本市税務署の前を通り昭和路を抜けて、東宝セントラルがあった場所へと向かいます。

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「写真1:和洋折衷住宅」
税務署の向かいにある建物は「和洋折衷住宅」です。こちらは昭和13年頃の建物で洋風部分は応接間となっています。大正から昭和初期にかけて流行り松本市内ではこのような和洋折衷の住宅を多く見かけることが出来ます。
 
一路南へ、松本医師会館脇に「二又水路」が流れています。この水路は古地図に描かれた堀の排水路とほぼ同じ形状で現在も西へ流れていますが、現在は大部分が暗渠となっています。住宅地が立ち並ぶ城西の風景も、かつて堀から水が流れ込んでいたこともあり、蓮池や田んぼの風景が広がっていました。そんな「二又水路」をさらに南へ。

ところで松本では現在もこんこんと湧きでている湧水に出会うことが出来ます。この空き地もそんな湧水に出会えるスポットのひとつ。みなさん探してみて下さい。
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「写真2:隠れ湧水」
さて、「隠れ湧水」を見つけたあなたは続いて狭く暗い路地へ入っていきます。この路地を進めば今回の目的までもう少し。
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「写真3:昭和路地」







見えてきました…

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「写真4:旧東宝セントラル」
東宝セントラルの跡地です。現在は解体され巨大な複合型福祉施設となっていますが、 昭和2年に建てられ、木造4階建てで地下(奈落)もあり、アーチ窓と女性の姿のモチーフの飾りが特徴的でした。施工は地元の筒井組工務店。当初『松筑座』として華々しく興業し、その後経営難から小林一三(阪急東宝の創設者)の手に渡りました。昭和13年に改装し『松本宝塚劇場』となって歌劇団の公演もされました。花道の奥に警察席というものが有り、サーベルを下げたお巡りさんがいて、スカートが短すぎるとか難癖をつけていたなどの逸話も残っています。





おまけ

「隠れ湧水」を見つけるためのヒントをひとつ。是非、みつけたらこうやってみずに触れて下さいね。
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by mizunosanpo | 2012-09-07 00:15 | 2012旅行社みずのさんぽ

みずのタイムトラベル城西編 紀行 3

こんにちは

これは2012年5月3日、6日、26日に行われた「建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル城西編」の紀行文です。

前回は「塩井の湯」について話しました。今回は「塩井の湯」から徒歩で松本城西不明門(にしあかずのもん)へ行きましょう。

まずは、塩井の湯から松本城西不明門へ向かいます。すると写真のような風景に遭遇します。
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「写真1:塩井の湯から西不明門へ向かう」

よくある風景といったところでしょうか。道路が緩い弧を描いていますが計画的に造られた道路であれば先の見えない危険でスピードを出しにくいこのような道路設計はしません。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんね。下の図を見て下さい。
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「図1:現代地図と古地図(江戸)を重ね合わせ堀を青で塗った」
(現存の堀=水色・埋め立てられたもの=濃青)

赤線で示したのが写真のカーブ地点です。つまり住居が建っている部分は江戸時代お堀だったのですね。言い換えれば、江戸時代ならこの住居はみずの中!道路は堀の埋立てに沿って作られたので緩い弧を描いているのです。

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「写真2:住居の隙間から覗く石垣」

上の写真は住居の隙間から撮った写真ですが、奥を見ると石垣があります。これを見ると住居が堀の上に建てられているのをさらに実感できます。

 このように松本城全体を囲い、水で満たされたお堀は松本の町割りへ大きな影響を与えています。下図の大部分が青色で占められて、松本城周辺は本当に水に恵まれた豊かな水都だったことがわかります。残念なことに多くの水場はコンクリートで埋められてしまいました。
 江戸を事例としてみると、川に隣接する土地は河岸地と呼ばれ、幕府の所有地であり、オープンスペースの担保が義務付けられていました。明治時代でも、河岸利用のためには東京府から許可を得ることが必要で、つまり水辺空間は公共的空間であり、市民のパブリックアクセスの場として重要視されていたのです。
 しかしながら大正の旧都市計画法による、都市計画事業捻出のため、河岸地の売却が急ピッチで進み昭和50年代以降パブリック空間としての河岸の特性が失われました。

現在の日本において、河川に高密な市街地が隣接して立ち上がっているのはこのような歴史的経緯に基づいています。

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「図2:現代地図と古地図(江戸)を重ね合わせ堀を青で塗った」
(現存の堀=水色・埋め立てられたもの=濃青)

そうこうしているうちに、西不明門に着きました。建築家の話が始まるようです。
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「写真3:西不明門にて」

「西不明門は城西2丁目1・2・4・5あたりの地籍で、現在の松本税務署近辺にありました。石造案内板が、松本市内科・小児科夜間急病センター北にたてられています。 西不明門は、櫓門で3間(約5,4㍍)×6間の規模、門内は桝形(ますがた)風に広く空間が取られ的場が設けられており、享保期の図では、番所が枡形風の広場内と馬出し内の2ヶ所におかれ、井戸も広場内と馬出し部分に各1ヶ所描かれていましたが、文政初年に写された絵図では、門内部の北側にあった作事(さくじ)所の南に籾蔵(もみぐら)が描かれています。 堀に架かる土橋は長さ19間3尺あり、馬出し部分は郭内が約298坪の広さでした。西不明門と呼ぶものの、往時は不明門でなく使用されていた。現在税務署や夜間急病センターがある辺りは馬出しだったのですがその形跡は残っていません。西不明門のあった辺りに立つと、平城とは言え、外堀と内堀の場所の高低差があり、堀の内側には土塁、さらにその上に高い塀が築かれていて外から城内の様子が見えないようになっていたということが窺い知れます」



みなさんが何気なく通り過ぎてしまっている道ひとつにしても、まちの成り立ちと深いかかわりを持っているかもしれません。お気に入りの道や路地を見つけるのもさんぽの楽しみのひとつです。


                    今日はいつもと違う道を歩きませんか?




by mizunosanpo | 2012-07-05 07:45 | 2012旅行社みずのさんぽ


豊かなくらしは日々みずみずしくあること。水と工芸とともに街を楽しむお散歩やスポット、グッズを提案する「旅行社みずのさんぽ」と印刷表現でものづくりを楽しむスペース「井戸端プリント」の紹介


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