カテゴリ:2013旅行社みずのさんぽ( 34 )

トラベルポイントNo.2 源池の井戸

続いてのトラベルポイントは源池の井戸です。

この井戸は松本市内にある名水の一つです。
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松本城下町が形成される前からこの井戸の存在は知られていて、多くの人が飲用水を求めてこの井戸に足を運びました。城下町ができてからは宮村に住む人々に利用されました。
「源池」という名の由来ですが、この地域のかつての領主が小笠原氏の家臣の河辺与三佐衛門源智という方で、その名をとって「源智の井戸」と呼ばれるようになりました。

この井戸の水はとてもきれいで、歴代の領主や城主は、さまざまなルールを作って水質の保護に努めていました。また、遠くの地域からも多くの人が訪れ、酒の醸造にも使われたそうです。
by mizunosanpo | 2013-07-01 01:43 | 2013旅行社みずのさんぽ

トラベルポイントNo.5 風呂屋小路

続いてのトラベルポイントは風呂屋小路です。

風呂屋小路とは松本市深志の極楽寺裏の天神馬場と長沢川の間にある小路です。17世紀後半、この地域は風呂屋が多くあったことからこの名がついたといわれています。この付近の地域は当時、西に極楽寺の垣根、南に風呂屋、東は長屋、北は天神馬場の土手と四方を囲まれていたせいか、周辺地域から切り離された独立した空間であったようです。この遮蔽空間内には風呂屋をはじめとして風俗業や料理茶屋も発達し、当時の町人の楽しみの場になっていました。
写真は風呂屋小路で案内をしている様子です。
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みなさん真剣に説明を聞いています。

風呂屋小路北側には深志神社からまっすぐのびる天神小路があります。
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この小路は江戸時代には天神馬場となっていて、流鏑馬など馬術の練習場として使われていました。
by mizunosanpo | 2013-07-01 01:18 | 2013旅行社みずのさんぽ

まつもと市民芸術館

続いてのタイムトラベルポイントは、まつもと市民芸術館です。
設計は、日本を代表する建築家・伊東豊雄氏です。
竣工したのは、2004年で松本の豊富な水や松本城の石垣を意識した現代建築になっています。
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この特徴的なデザインは、伊東豊雄氏が石垣をイメージしたものだそうです。

ここでこの場所について語っていきましょう。
現在のこの敷地には、戦後すぐに、第二公民館が建設されました。
これが、この地に建設された初代の公共建築です。
しかし、1955(昭和30年)焼失してしまいました。
次に2代目の公共施設となる松本市民会館が、1958年(昭和33年)に着工し、翌年竣工しました。
さらに、市制60年と明治100年を記念して市民会館前にライラック公園が造られました。
大型の噴水と美しい庭園が特徴で、地域の人々に愛される公園でしたが、
老朽化と他のホールの新設に伴い、取り壊され現在のまつもと市民芸術館が竣工しました。
地域の人の反対もありましたが、最終的に今のような形となったのです。
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かつての公園のライラックは植え替えられ、今でもまつもと市民芸術館の屋上庭園で
きれいな花を咲かせています。
現代の建築の中に見つけたタイムトラベルでした。

こちらの屋上庭園は夜10時まで開放されています。
松本市を見渡せる穴場スポットとなっているので
是非、足を運んでみてはいかがでしょうか(*^o^*)


それでは。
by mizunosanpo | 2013-06-29 17:15 | 2013旅行社みずのさんぽ

天神の舞台

続いて見学させていただいたのが、深志神社の天神の舞台です。
まさに、豪華絢爛・大迫力です!!
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こちらの舞台は毎年7月24・25日に行われる祭礼・天神祭りで使われる舞台です。
全部で16台あり、地域ごとに所有し、多くが深志神社の舞台小屋に保管されています。
今回見せていただいたのは、その中でも最大級で松本舞台の代表格本町1丁目の舞台です。
木彫刻や金具、漆塗りの装飾は秀逸です。
普段は、滅多にお目にかかることのできないもので、とても貴重な体験でした(*^o^*)
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祭礼の際には、地域の子ども達を乗せ、境内まで練り歩くのですが、
境内にすべての舞台が立ち並ぶ姿は圧巻です。
是非、7月24・25日は深志神社へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

深志神社の方々、貴重な体験をありがとうございました。
by mizunosanpo | 2013-06-29 16:44 | 2013旅行社みずのさんぽ

緑橋、袖留橋

こんにちは。それでは続いてのタイムトラベルポイントを紹介します。

博労町と本町五丁目の間を流れる長沢川を渡すのがこの緑橋です。
ここは、城下町の端っこで松本城の防衛ラインです。
昔は袖留橋と呼ばれていたが、現在は緑橋と呼ばれています。

袖留橋の由来は、松本城主小笠原秀政が大坂夏の陣に出陣する際、
二子忠脩・忠政も伴い、まだ若武者の忠政との別れを惜しみ、
その乳母が袖を引いたことからきています。
この場所に立ち、かつての風景を思い浮かべるのも
タイムトラベルの楽しみの一つではないでしょうか(*^o^*)

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現在、橋の名前は橋の再建に伴って変わってしまったが、
橋の名前を残そうと同長沢川が巾上新道とかさなる所(松本駅西側)の橋に、
今でも袖留橋と名付けられています。

それでは。
by mizunosanpo | 2013-06-29 16:20 | 2013旅行社みずのさんぽ

極楽寺

続いてのタイムトラベルポイントは、極楽寺です。
極楽寺は、海野三郎重広が親鸞の弟子となって開基したお寺で浄土真宗寺院です。
正面にある親鸞の像が目を引きます。
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実は、このお寺がこの地に落ち着くまでには様々な経緯があります。
まず、時代はさかのぼり武田信玄の時代(1560)。
信玄公の命により、筑摩郡栗林に移転されました。
その後、松本城主が戸田氏の時代(1625)。
松本城近く本町1丁目(旧開智学校のあった場所)に移りました。
さらに、明暦2年(1656)には火災により焼失し、
時の松本城主水野氏によって現在の本町5丁目に移されました。

そんな歴史も知っていれば、木造から建て替えられた鉄筋コンクリート造の寺院も
歴史を感じられるものです(*^o^*)

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こちらの門は、お寺の大門ではなく山門と呼ばれるものです。
城主が参詣する際、本町通り(松本城城下町のメインストリート)から直接参詣できるよう、
町家を移して造られたものです。

それでは、私たちもこの門をくぐって松本城の城下町を感じていきます!
by mizunosanpo | 2013-06-29 15:40 | 2013旅行社みずのさんぽ

中屋のこぎり店

こちらは、タイムトラベルポイントの中屋のこぎり店です。
この中屋のこぎり店のある松本市小池町は、かつて職人や大工の町として栄えました。
その昔の鍋屋小路の名残りと思われます。

こちらのお店では、目立てという切れ味の悪くなったのこぎりを手入れをする作業をしています。
様々な道具を使い分け、手作業でのこぎりを復活させる技は、まさに職人技です。
今回のタイムトラベルでは、昔ながらのその技を見学させていただくことができました。
普段も、店先で作業しているので、その姿を見かけられるかもしれません。
是非、お通りがかりの際は覗いてみてください!

このような職人技の見られるお店はどんどん少なくなっています。
目立て屋さんも昭和25年頃までは、松本市内に7軒ありましたが、
今は中屋さん1軒だけとなっています。
職人の技が失われていくのは悲しいもので、後世に技が語り継がれることを期待したいです。

中屋のこぎり店さんご協力ありがとうございました。
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末永く現役でおられることをお祈りいたします。
by mizunosanpo | 2013-06-29 14:53 | 2013旅行社みずのさんぽ

銭座記念碑

さて、続きましてはトラベルポイント⑬の銭座記念碑です。

a0167801_14484199.pngこれは寛永14年(1637)から寛永17年(1640)まで松本に「寛永通宝」を鋳造した松本銭座があった証として建立された記念碑です。松本銭座は鍋屋小路にあったことは分かっていますが、正確な場所は分かっていません。

なぜ銭座が松本に置かれることになったのでしょうか?
江戸時代までタイムトラベルしてみましょう!

江戸幕府の貨幣制度は、金貨・銀貨・銭貨の三貨の間に交換比率を定め、併用させるというものでした。寛永13年に足尾銅山などの銅の生産が増加したことで、幕府は本格的に寛永通宝の鋳造を開始しました。寛永14年には寛永通宝を全国に流通させるためには江戸と近江坂本の2ヶ所に加えて水戸・仙台・三河吉田・松本・高田・長門萩・備前岡山・備後竹田の8ヶ所の鋳銭所が増設されました。寛永16年(1639)には駿河井之宮にも銭座が設けられました。これは銭貨幣流通のために、十分な量の寛永通宝を確保するためだと言われています。松本が選定された理由としては本州内陸部の銭貨幣流通をはかるためであったと考えられています。

松本に銭座が置かれた理由はお分かりいただけたでしょうか。
でも、なぜ松本の中でも鍋屋小路に置かれたのでしょう?

元禄12年ごろ(1688‐1704)の松本城下には三輪・濱・田中・小野の4人の鋳物師がいました。極楽寺の鐘にはこの4人の名前が刻まれているようです。濱と田中はともに河内(かわち)の国、丹南郡(大阪府)の鋳物師で、元和8年(1622)に飯田町の鍋屋小路に住み、極楽寺をはじめ、多くの寺の鐘を鋳造しています。宝暦年間(1751-1763)の家並絵図からは、飯田町に鋳物師3人・鍋屋3人。宮村町に鍋屋1人がいたことがわかります。
こういった技術的な蓄積があったため、鍋屋小路が銭座の中核を担ったということですね!

銭座記念碑の説明も終わったことで、いよいよタイムトラベルも終わってしまうようです。
最後をかざるのは松本市芸術館です!
by mizunosanpo | 2013-06-25 14:49 | 2013旅行社みずのさんぽ

深志神社

さて、次にやってきたのはトラベルポイントの⑪の深志神社です。いよいよコースも終盤にさしかかってきました。

深志神社では「かじの葉」と「梅の花」の紋が多く見られますが、これは何故でしょうか?深志神社をタイムトラベルしてみましょう!

深志神社は小笠原氏が信濃の守護を命ぜられたとき、井川にお城をかまえたのですが(井川城)、そのお城の鬼門の方に位置しました。そこで、鬼門除けに武の神である宮村大明神がまつられるようになりました。宮村大明神の紋と言えば、そう、「かじの葉」です。宮村大明神は諏訪大社からもってこられ、この地にまつられています。ちなみに、宮村町はこの神社が来てからできて、栄えた町のようです。

時代は変わって、小笠原忠政が深志(現在の松本城)に城を構えたころ、今度はこの神社が辰巳の方角(吉祥の方)に位置したため、繁栄を祈願して天満宮ももってこられ、まつられるようになりました。天満宮の紋と言えば、そう、「梅の花」です。

これで、「かじの葉」と「梅の花」の紋が多く見られる理由がわかったと思います。城下町は血縁関係のない人たちが集まってできた集団なので、神社は祭り、行事、参拝などを通して人々のつながりを作っていく役目もあったそうです。


深志神社の敷地内にある絵馬殿ではたくさんの大小さまざまな絵馬を見ることができます。この絵馬は松本藩士や氏子などから奉納されました。深志神社は女鳥羽川以南の町人の信仰の中心だったため、多くの絵馬が奉納されています。なんと70以上の絵馬が奉納されているとか...。信仰の厚さがよくわかりますね。


また、いくつかの石碑も敷地内に置いてあります。その中から二つほど紹介します。
一つは狂歌堂真顔(きょうかどうまがお)の狂歌碑です。これは、江戸時代の有名な狂歌師である狂歌堂真顔(しかつべのまがおともいう)が狂歌歌人ながら松本の風景を美しく読んだ狂歌の碑となっています。ちなみに、石碑にはこんな歌が刻まれています。

「たてまわす 高嶺は雪の 銀屏風 中に墨絵の 松本の里」
(周りにそびえるアルプスの山々に雪が積もって銀屏風のようにきれいに見える。その中に霧でかすみがかった松本の里があり、とても美しい。)

これはおそらく松本の里の全貌が見渡せる、どこか山の上で読んだ歌だと言われています。


二つ目は菅原道真公の歌です。これは大宰府に左遷された道真が都を去る道真公が梅の花を想って読んだ歌となっています。道真公が梅の花を愛でていたことはみなさんもご存じだとは思います。ちなみに、石碑にはこんな歌が刻まれています。

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
(咲きこぼれそうに咲こうとしている梅の花に、自分がいなくなってもめぐりくる春には必ず花を咲かせ、香りだけでもいいから東風(こち)にのせて自分のところへ...)

こんな別れの歌を残して都を離れ、大宰府へ向かったと言われています。
深志神社の敷地内には菅原道真公にまつわる梅の花に関するものや牛の像などもあるので、探してみてください!ちなみに、牛の像は最低でも3つはあります!

この二つの石碑は敷地全体の中心あたりにあります。こちらも探してみてください。石碑の横には木の立札も立っています。


また、深志神社の敷地の南側には、いくつか他の神社も置かれています。その神社群の正面に見た状態における左端の神社から紹介していきます。

a0167801_1492372.pngまず、一番左にある神社は「市神社」です。こちらは「市」という文字からも分かる通り、商業の発展を祈ってまつられています。市神様は飴市(あめいち)の初市のときに本町にまつられます。ちなみに飴市(あめいち)とは、毎年1月11日に行われる祭りで、主に本町・中町・伊勢町などの人の手によって行われています。昔は写真のような舞台も使われていたが、現在はもう使われてないようです。

次に、「金山神社」と「松尾神社」です。
金山様は鍛冶職人が信仰する神様です。ここには、トラベルポイント③でお邪魔した中屋のこぎり店のおじさんをはじめ、鍋屋小路にいた職人などが奉納しにきています。
松尾様は酒造業が栄えるようにとまつられた神様です。

一番右にあるのが「染殿社」です。こちらは染物師がまつった神様です。

松本にはトラベルポイント①,②でも紹介したようにきれいな水が豊富にあるため、酒造業や染物が盛んになったのではないでしょうか?みなさん、水をきれいにたもちましょうね!


これにて深志神社のトラベルは終わりです。
次はトラベルポイント⑬の銭座記念碑です!
by mizunosanpo | 2013-06-25 14:19 | 2013旅行社みずのさんぽ

十王堂

第9のスポット南十王堂です。

十王堂には、事後の冥界を支配する十王がまつられています。十王は死者を忌日ごとにその生前の行いを裁断するのです。一方で、生きているものは法事を行って死者の成仏を側面から支援します。

・十王堂は江戸時代、松本の城下町の東西南北の入り口に魔除けのために建てられました。今では十王堂はほとんど失われてしまい、痕跡があるのは東の餌差町(えさしまち)と南の博労町のみです。
・東の餌差町の十王堂では十王が閻魔堂でまつられており、それらの像もおかれています。そして、東西南北四つの十王堂で、十王の像が残っているのは東の餌差町だけなのです。この餌差町の十王堂は地蔵堂ともよばれ、本堂が閻魔堂となっていますが、そこにつづく参道の端には六地蔵がならんでいます。死者は死後7日毎にこの六地蔵一つずつにお祈りをします。そして、最後の49日目に閻魔堂で裁きを受け、あの世に行くとされています。
・南十王堂跡の建物の中には一つだけ江戸時代の年号である寛永20年、西暦でいうと1643年に建てられたとても古い六地蔵のせきとうがあります!探してみてください!
by mizunosanpo | 2013-06-01 10:12 | 2013旅行社みずのさんぽ


豊かなくらしは日々みずみずしくあること。水と工芸とともに街を楽しむお散歩やスポット、グッズを提案する「旅行社みずのさんぽ」と印刷表現でものづくりを楽しむスペース「井戸端プリント」の紹介


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