建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル 建築家紹介4

みずのタイムトラベル建築家紹介 5月28日編

建築家さんたちに今回のツアーのお勧めポイントをお伺いしています。
5月28日のツアーの担当は藤松さんと米山さんです。



藤松幹雄 藤松建築設計室 




米山文香
今回の見所は、なんといっても、城下町の面影が其処彼処に残っているということです。
昔のままの町割り、水路(石積み)、辻井戸・・・・

町割りは、大きな区画が中級武士、小さな区画が下級武士、区画が書かれていない町人地。
これらが、ほぼ原型に近い形で残っています。
お城の北東で善光寺街道から町人地で隔てられた部分が中級武士の居住区です。(新町・田町・袋町)
上級武士は、城主を守るため総堀の中である三の丸に住んでいました。
総堀の外(城郭の外)に、中級武士、町人、下級武士が住み、さらにその外側に防衛空間として寺社が置かれました。岡の宮神社と安楽寺は鬼門除けの寺社です。
松本の城下町は「四神相応の地」、正面の南(朱雀)に窪地、背後の北(玄武)には丘陵、東(青龍)には川、西(白虎)には大きな川や道がある理想の地相に造られています。今回のコースには北の玄武の十王堂跡があります。

 玄武ってなに?
北方を守護する聖獣で、脚の長い亀に蛇が巻き付いた形あるいは尾が蛇となっている。玄とは黒を意味し、五行説では北方の色とされる。

 十王堂ってなに?
十王とは冥界で死者の罪業を裁く10人の裁判官のことで、それを祭ったお堂が十王堂です。城下町を守るために東西南北の出入り口に置かれましたが、廃仏毀釈の際に廃墟となってしまいました。



 見どころ+α
・お城には井戸が有りませんでした。地蔵清水の井戸(市役所西北側の交差点辺りにあった)から木樋を使って二の丸御殿などに水を引いていたそうです。有事の際は、水が確保できなくなる可能性があるお城だったなんて驚きです!

・辻井戸が何箇所か残されていて、今でも水があるのを見ることが出来ます。三の丸の上級武士の居住区では、一軒に1基の井戸が設けられていましたが、中・下級武士ともなると共同の井戸でした。また、町人と武家では、どんなに近くても、同じ井戸は使わなかったそうです。女鳥羽川より南では湧水が豊富でしたが、北の範囲では、掘り井戸が造られました。

・町割りの道筋が、城下町地図とほぼ同じ形で残っています。敷地の割りもほぼ残っているので、下級武士の居住区だった部分と中級武士の居住区だった部分では、敷地の大きさがまったく異なるのが見て取れます。また、街道沿いの町人町も、いわゆる『うなぎの寝床』的な間口に対して奥行きがある敷地割で、奥のほうに土蔵や庭が垣間見れる部分があります。

・紙漉き川が、ほぼ開渠(蓋掛けされていない状態)で残っています。側面が石積みである部分が多く、昔のままのルートで住宅地の隙間を流れている姿は風情を感じます。紙漉き川の名前の由来は、水源地である岡の宮神社の近辺で、神社に上納するための紙漉きが盛んに行われていたからだといわれていますが、紙漉きは、主たる職業としてではなく副業として行われていたために資料が残されておらず、具体的な場所などはわかりません。また、岡の宮神社の東北辺りに大きな池が有リ、十返舎一九が松本を訪れた際、舟遊びをしたという記録が残されています。この池は、女鳥羽川の氾濫で消失してしまいました。

・北の下級武士の居住区内に下級武士の住宅である、県宝『橋倉家住宅』が有ります。井戸も残っています。この建物は数年前まで貸家になっていたので、水周りなどの増・改修工事がされてしまっていますが、渡り廊下で行く雪隠と隠し部屋のような2階の部屋はほぼ昔の状態です。下級武士は少ない禄で食べ繋ぐため、敷地内には見のなる木を植えたり野菜を作っていました。ここにも柿・杏などが植えられています。また、常法寺小路の北の『木下尚江生家跡』にも、杏の木の切り株が残っています。※橋倉家住宅は松本市文化財課に予約をすれば見学できます。木下尚江生家は松本市建物野外博物館『歴史の里』に修復移築されています。また、重文開智學校の東のほうに『高橋家住宅』(下級武士の住宅)が土・水曜日のみですが無料公開されています。

・古地図を見ると、北の下級武士の居住区である萩町の道幅が他と比べて広くなっています。この部分は善光寺街道に面して武家地が造られたため、目隠しのために萩の垣根がつくられていたためです。武家屋敷では、守備のために垣根には棘が大きくて堅いカラタチを植えることがよく有りますが、萩の垣根なら街道を歩いてやってきた旅人たちはホッとする空間だったのではないでしょうか?今はアスファルト舗装された国道ですが、当時の形の名残を見ることが出来ます。

・石積みについて。今の石積みは石と石の隙間をモルタル詰めします。昔の石工は、積む石の面と面がぴったり合うように鑿(のみ)を使い石を刻みました。そんな手間暇かけて造られた石積みは、五感に響くものになります。松本地域では、『山辺石』という青緑がかった色の硬い石を土蔵の基礎などに使ってきました。(今では搬出の制限があります)基礎の通気口に石で開閉できる細工がされているものも有ります。見つけられますか?(^^)

・善光寺街道が鍵の手になっている部分の中ほどから北に入る常法寺小路、その入り口東側の建物は明治元年の築で『招き造り』といわれる様式。小路の両脇にそそり立つ塗り壁、基礎の石積み、見越しの松・・・異次元空間のようです。

・堀を掘った時の残土を堆積した『土塁』が残っています。味噌屋さんの西にある、捨堀の土塁には祠が祭られています。この捨堀の南半分は、古地図の形がほどそのまま残っています。

・片端の堀の通りには、擬洋館が立ち並んでいます。明治の大火で焼けた後に造られたものです。ドイツ留学帰りの医師によって建てられた宮嶋医院はその中でも別格です。旧市庁舎をはじめ、市内の擬洋館の多くを手がけた佐野工務店の手によるものです。建設当初は、道路に面した2階の部分はバルコニーでした。2階の居住スペースの天井は、大正時代に流行ったゴージャスな模様型押し鉄板が張られています。この天井は、他の擬洋館でも使われています。今回のコースでは有りませんが、下馬出しにある甘味処『塩川』と土居尻の銭湯『塩井の湯』でも、デザインはさっぱりしたものではありますが、型押し鉄板の天井を見ることが出来ます。ちなみに、塩川のクリームあんみつはアイスが他のお店に比べて大きめです。塩井の湯は沸かし湯ですが鉱泉でよく温まります。建物外観も擬洋風で一見の価値があります。足を延ばしてみてください。


今週末も松本城太鼓門支店でお待ちしております。
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by mizunosanpo | 2011-05-23 15:12 | 2011旅行社みずのさんぽ


豊かなくらしは日々みずみずしくあること。水と工芸とともに街を楽しむお散歩やスポット、グッズを提案する「旅行社みずのさんぽ」と印刷表現でものづくりを楽しむスペース「井戸端プリント」の紹介


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